【旅】京都・大原の勝林院の色づく銀杏

大原の北にある天台宗のお寺、勝林院

835年に開かれたと伝えられています。
日本音楽の源である天台声明(しょうみょう)発祥の寺でもあります。

本堂は1013年に寂源により、法儀声明念仏三昧の根本道場として建立されました。別名『問答寺』とも『証拠堂』とも阿弥陀堂とも呼ばれています。
寂源により建立された本堂は数多の火災、洪水により破損し、修復再建されてきました。江戸時代初期、徳川家光の代に春日局の願によりお江の方、崇源院の菩提のために再建されたという縁起が高欄の擬宝珠(ぎぼし)に刻まれていますが、1736年正月の火災により焼失してしまいます。
現在のお堂は1778年、徳川家治の頃に再建され、縁起が刻まれた擬宝珠もこの時のものです。屋根は椹板(さわらいた)で葺いた「柿葺き(こけらぶき)」、柱、梁など軸組、床板などすべてが欅造り(けやきづくり)となっています。

大原問答

1186年に法然が浄土念仏に関する法論をなして説法の証を示しました。本堂ではボタンを押すと声明(しょうみょう)が流れるようになっており、自由に聞くことができます。

大原問答とは法然上人がここで浄土の宗義について交わされた論議のことです。顕真法印が主催となり法然上人を中心として、天台証真、高野山明遍、笠置寺貞慶、東大寺重源などが集まり一昼夜にわたり法然上人に12の難問が投げかけられました。この時、数多くの聴衆も集ったと伝えられています。

問答では、
「どうすれば迷いの境地より脱して悟りの境地に入ることができるか。」
の問いに対して法然上人は
「成仏はむつかしいけれど、往生は易しい。仏の願力を強縁としてにより有知無知を論ぜず、持戒破戒を選ばず、迷いのままに往生できる。」
と答えられました。

また
「念仏を称えて往生をとぐべきことは理解できてもこの心が静まらないのは如何すれば。」の問いに対して
「煩悩は起これども本願力で往生を得る。人間ありのままのすがたで救わるる道が称名念仏である。」と答えられました。

法然上人は凡夫往生の道、つまり機根比べは学問上の問題ではなく、
「現に今、自身はどうなのか、そしてどうするのか。この事実の前にはいかなる理論も通じず、一歩を譲らなければならない。」
と説かれた。

法然上人が念仏によって極楽へ往生できることをはっきりと示したその時、本尊の阿弥陀仏がまばゆい光を放って、その主張が正しいことを証明されたのでした。どんな人でも極楽浄土へ生まれ変われると知った聴衆たちは大変喜び、三日三晩、断えることなく念仏を唱え続けたと伝えられています。

本堂からみた紅葉がとても綺麗でした。

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