【旅】日曜朝8時の清水寺の様子

伏見桃山に行く予定の日、朝早く起きたのでせっかく五条のホテルに泊まっていることもあり、清水寺に行ってみることにしました。

昨日降っていた雨は止んで晴れてきましたが、気温は10月にしては寒い16℃ 朝風呂の余熱でしばらくはぽかぽかしていましがだんだん肌寒くなりました。

冷えないように五条坂を清水寺に向かってエッサエッサと歩いていると前方から朝の陽光が正面から指してきました。少しずつ暖かくなることを期待しましたがなかなか暖かくはなりませんでした。

門に到着。

門前の参道のお店はまだ開店しておらず、人もほとんどいません。なんという優越感。去年来たときは海外からの観光客でごった返していた産寧坂も人はまばら。写真もあっちからこっちからどこでも人を気にせず撮り放題でした。

清水の舞台はまだ改装中で2021年の春には工事が終わる予定だそうです。

清水寺の歴史

正式には音羽山清水寺といいます。開創は1200年以上前の778年。

古くから庶民に開かれ幅広い層から親しまれていたようで、古い資料や文学等に多くの人々が清水寺参詣を楽しむ様子が描かれています。境内には国宝と重要文化財を含む30以上の伽藍や碑が建ち並びます。創建以来10度を超える大火災にあいましたが、現在の伽藍はほとんどが1633年(江戸時代初期)に再建されたものです。

1994年にはユネスコ世界文化遺産「古都京都の文化財」のひとつとして登録されました。

音羽の瀧

清水寺の始まりを記した書物があります。
『続群書類従』その中に下記内容が記されています。

奈良で修行を積んだ僧、賢心(けんしん)の夢に白衣の老翁があらわれ「北へ清泉を求めて行け」とお告げをしたことが清水寺の始まりです。賢心は霊夢に従って北へと歩き、やがて京都の音羽山で清らかな水が湧出する瀧を見つけます。

賢心が見つけた清泉は、その後「音羽の瀧」と呼ばれ、現在も清らかな水が湧き続けています。

坂上田村麻呂が名付けた「清水寺」

ある日、鹿狩りに音羽山を訪れた坂上田村麻呂が音羽の瀧で賢心と出会います。賢心は坂上田村麻呂に観音霊地での殺生を戒め、観世音菩薩の功徳を説きました。その教えに深く感銘を受けた坂上田村麻呂は後日、十一面千手観世音菩薩を御本尊として寺院を建立し、音羽の瀧の清らかさにちなんで清水寺と名付けたのです

ことわざ「清水の舞台から飛び降りる」

「清水の舞台から飛び降りる」という有名なことわざがあります。切り立った断崖に張り出している清水寺本堂の舞台から飛び降りるほどの決死の覚悟で物事を実行することを表現した言葉です。

 清水寺の舞台が、古くから高層建築物の代表として誰にも知られていた名所であるということがわかります。

雨上がりなのであちこち雫が綺麗に残っていました。人が少ない清水寺はいつもと全く違う雰囲気で、お堂の中もゆっくりと天井や壁まで見ることが出来ましたし、景色も見たいところで見たいだけ堪能できました。

贅沢をいうと、これで紅葉が真っ赤に色付いていたら良かったと思います。さすがにその頃は今よりも観光客で賑わうでしょう。

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