【旅】京都「清凉寺」の生身のお釈迦さま 世界最古の内臓模型

嵯峨釈迦堂(さがしゃかどう)とも呼ばれる「清凉寺」

最初は光源氏のモデル源融(みなもとのとおる)の別荘「栖霞観(せいかかん)」であったところから始まります。

源融はこの地「嵯峨」にゆかりのある嵯峨天皇の12番目の皇子です。


余談ですが、たまたま前日訪れた「渉成園」も一説によると源融の別荘の痕跡があるとのこと。

「渉成園」のブログ
https://wordpress.com/block-editor/post/ochorios1994.com/537

宇治の平等院も「源氏物語」ゆかりの地として有名ですが、やはり源融の別荘であったとのことです。すごい人だったのですね。

ここ「清凉寺」はもともとその源融の別荘であったのですが、「栖霞観(せいかかん)」という名前でした。源融が亡くなって一年後の896(寛平8)年に、阿弥陀三尊像(現在国宝)を本尊として安置して寺となり、名も「棲霞寺(せいかじ)」と改められました。

まだ「清凉寺」ではありません。

半世紀ほど後の945(天慶8)年、醍醐天皇(だいごてんのう)の皇子である重明親王(しげあきらしんのう)が亡き妻のためにお堂を建て、そこに釈迦如来像を安置したことから「釈迦堂」と呼ばれるようになりました。

その約42年後、中国の宋にある五台山(ごだいさん)を巡礼した東大寺の僧・奝然(ちょうねん)が帰国して寺院を建立しようと計画しましたが、その志を果たせず亡くなってしまいます。
しかし、その遺志を奝然の弟子が継ぎ、1016(長和5)年に棲霞寺の境内に清凉寺を創建したのです。この時、清凉寺に本尊として安置されたのが、奝然(ちょうねん)が中国から持ち帰ったとされる「釈迦如来立像(現在国宝)」です。

そんな国宝が特別公開されていました。

【国宝 阿弥陀三尊坐像】清凉寺になる前、源融の一周忌に安置
 源氏物語の光源氏のモデル、「源融(みなもとのとおる)」が造らせた像で自分に似せてつくらせたといわれ「光源氏写し顔」の伝説をもつ。左右の観音様も密教の手印を結ぶ極めて珍しい形をしています。3尊ともヒノキの一本造で、拝観時はしばらく見とれていました。

【国宝 釈迦如来立像体内納入品】生身のお釈迦様といわれる所以
 清凉寺となる頃に、宋から持ち帰ったとされる立像の体内からおびただしい納入品が発見されたのが昭和28年。とりわけ5色のシルクで作られた五臓六腑(内臓器官)は世界最古の内臓模型として極めて珍しく貴重なもの。
※特別拝観ではありますが、展示品は精巧に復元された模型で実物は本尊の立像ないにあるそうです。

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